永遠にかわいい末っ子くん


龍太郎、芸能界復帰おめでとう、おかえり。
龍太郎がTwitterをはじめてからときどきのぞいていたけれど、本格的に事が動き出したようでうれしいです、やるからにはがんばるんだよ〜






























ああ、悔しいなあ!!!!!!!!!!!!!!!

折にふれてわたしは悔しい悔しいと言っているけど、本当に悔しい!!!!!!だってこんなにかわいい末っ子なのに!!!!!!うちのグループにいないなんて!!!!!!悔しいよ!!!!!!!!!!!!!!!



あの日は突然やってきて、訳もわからないうちに穴は塞がれて、そのまま今日までやってきました

Hey!Say!JUMPには最年少が不在です。これからもずっとずっと最年少の席は空いたままです。知念くんがいま現在の事実上の最年少になるけれど、とっても賢い知念くんはきっとそれをあの日から察して最年少の席に半身くらい身を置いてくれているのではないかなあ、とわたしは勝手におもっています。
生意気で、ガキ大将で、ハムスター噛むからこわいけどかわいいから触ったのが初体験で、動くぬいぐるみみたいで、野球がすきで、ちいさなおっさんみたいなところがあって、中居くんにいじられまくりで、お母さんと恋人みたいな喧嘩をする龍太郎が、わたしの中では永遠にかわいい最年少です。それはJUMPとして10人で動き出したからには変えることのできないどうしようもない事実で、きっとメンバーもおなじようにおもってくれているのではないかなあ、とおもっています


Twitterにあげられる龍太郎の写真を見るたびに、ああ、このかわいい顔の子がなんで…と諦めきれなくて。友人宅で龍太郎の顔うちわを広げてテレビにうつる向井理さんと見比べて、龍太郎、向井さんに似てない?!向井さんみたいなイケメンになるのかな?!!とひとしきり騒いで笑ってちょっと虚しくなったり。

この子が9人のおにいちゃんたちに囲まれてジャニーズとして育っていたらどんな大人に成長していたんだろう?と考えるともう悔しくて悔しくて!!!!!!!!!!!

たぶん、これからもずっとずっと、こうやって悔しい!!!!!!っておもう瞬間がたくさんあるんだろうなっておもっています

かなしくてかなしくて、どこに怒ったら、どこをうらめしくおもったら、どこに縋ればいいのかもわからくて、あの年の七夕から毎年、龍太郎がHey!Say!JUMPに戻ってこれますように。って短冊を書いて自分の部屋にこっそりつるしていたけど、お願い、叶わなかったなあ。本当に叶ってほしくて、その年から短冊はそのひとつだけにして誰にも言わなかったのに、叶わなかったなあ。もっともっと豪華な紙をつかって良い紐をつかって極上の短冊だったらよかったかなあ…織姫さまと彦星さま、わたしは悔しいです!!!!!





Hey!Say!7が「4人である」ことにまったく慣れなくて違和感ばかりで。BESTコーナーになると5人のBESTがすごく羨ましくて。いつの間にかわたしは7の5人という様式美までも愛していたのだなあ、と気づかされて。5人全員20代の7ちゃんはものすごくつよくなっていたのだろうなあ…ああ、悔しい

脳内☆Danceの歌詞も変わってしまったよ、龍太郎。山田はビシビシ推理を戦わせてよ!!知念と中島は焦っちゃだめだと呟いてよ!!岡本と森本ははてなと並んでかわいくアイスを食べてなさいよ!!!!!まるっとかわいい歌詞なのに、上書きされてしまったよ…ああ、悔しい…!!!!!


7コーナーで、ただ前へを歌ってくれたとき、あのエモい演出に涙したひとはたくさんいるとおもうし、わたしもそのひとりなのだけど、こんなにおおきくなった7ちゃんは「4人である 」ということをすっとそのときに受け入れることができて、それがうれしくて、涙があふれました。
こうやって4人で輪になってみんなの顔を見ながらたのしそうに歌っている7ちゃん、横一列に並んで凛としていきいきとした表情で前を向いている7ちゃん、問題は山積みだし悩みは消えないだろうけど、4人であるいていくんだなって、やっとその現実をすんなり受け入れられました。ここにたどりつくまで時間はかかったけれど、よかったなあ。きっと、かつんにいさんが言っていたように、抜けた穴をどうにかすることはとてもむずかしいことで、7ちゃんなりに完全ではないにしても、その事実と向き合ってくれたのではないかな、とわたしはおもっています。7ちゃん、ありがとう。






龍太郎のことについて言及することも、言及されることもなく、ここまでやってきて、きっとこれから先もストレートに言葉をもらうことはないかもしれないとおもっていて。大事な時期だし、決して彼らが不誠実であるわけではないけれど、NEWS、KAT-TUNのおにいさん方の誠実さが羨ましくもあり。龍太郎の存在を封じこめるような形が心苦しくて。

でも、龍太郎は芸能界復帰へおおきく踏み出したし、それを取り上げてくれるひとたちがいる。おおきな何かを巻き起こして、なにかしらの言の葉を引き出してくれる日がくるかもしれない…?わたしはその期待をおおきくなった彼にほんのすこしだけ寄せておこうとおもっています。とても無責任でむずかしいことだとはおもうけれど。わたしは愛すべき最年少のいく道が幸多き道であるようにと、いつまでも応援しています





最年少のかわいいきみは別の道をあるいていくんだね、きみがずっとかわいいからわたしは寂しくて悔しいです!!!メインボーカルとしての龍太郎も、プロデューサーとしての龍太郎もうちのグループにいないなんて悔しすぎる!!!!うちのグループで龍太郎が新時代を切り開いていく未来が見られなくて悔しい!!!!!!!!


わたしがもっともっとたくさんの「悔しい」と「おめでとう」を言えるようにがんばるんだよ、たのしみにしています

未来の特急

裕翔くんがセンター交代を乗り越えた話はとっても有名な話だとおもいます。やまちゃんとの関係がさらによりよいものとなりとても感慨深くあり、その歴史がわたしはだいすきで未来に期待しかありません。

そんな中でもずっともやがかかっていることがわたしにはあります。ここからはずーっとわたしの憶測による話になります。




裕翔くんはデビュー後の自身の変化について言及できるほどつよくなられました。それでも裕翔くんは自身のJr.時代の話にはよわいなあとおもっています。

デビュー後の変化を語るに当たってまずは裕翔くんがJr.時代どんなにエリートであったかがたいてい紹介されます。それが裕翔くんは本当にすきでないのだなあとおもいます。そういう場面で自分のエリートな過去をひけらかすこと、波のある人生のあゆみを好んで話すことなんてしたくないとは思うのですが、裕翔くんの反応は、わらっているけれど、こころの奥底でものすごくつよく拒否しているようなのです。


J.J.Expressのセンターを務めていました」
という紹介VTR中のコメントに小窓で
「そんなのもあったな〜〜」
と笑いながらいう裕翔くんがいました。

ぜったいに「そんなのもあったな〜〜」なはずはないんです。「そんなの」。こっちのショックがおおきくてそのあとのエピソード紹介はふわふわしながら見てました、正直なところ。ちいさなことなのですが。JJが裕翔くんにとってそんなに軽いものではない、とわたしは信じています。


2013年の少年倶楽部の未公開シーンとして、はっしーと裕翔くんの会話が放送されました。ふたりの会話はこんなものでした。自分のために文字起こししてみました。

橋本「エールについて」
裕翔「エールについて」
橋本「俺ねー、裕翔くんにエールもらったことあるんですよ、実は」
裕翔「え、いつですか」
橋本「J.J.Expressのとき」
裕翔「ハハハ」
橋本「あの、裕翔くんがセンターにずっとばーんって立ってて」
裕翔「はいはいはい」
橋本「いやほんと俺はなんか、この人の後ろでほんとにもうずっと踊っていたい、」
裕翔「ほんとにぃー?」
橋本「この人がいないとJ.J.Expressはじまらない!と思ってたからね」
裕翔「ほぉんとにぃー?」
橋本「うん、だからほんとに、」
裕翔「言いすぎじゃないの?」
橋本「裕翔は本当にエールの人だなって思いましたね」
裕翔「そう…ぼく〜はですねぇ、いやでもなんか、そういう風に見られてるとは思わなかった、今まで」
橋本「まじで」
裕翔「うん、なんか普通にだって、一番歳近いし、」
橋本「そうだね」
はしゆと「同い年だから」
裕翔「だからー、すごいいっぱいしゃべってたし、」
橋本「うん」
裕翔「他にいのちゃんとか大ちゃんとかもいっぱいいたけど」
橋本「確かにな!」
裕翔「けっこうここやっぱ仲よかった気がする」
橋本「そうね、うん、そうね」
裕翔「取材の現場でもさ、けっこう仲良かったりとかして、あ、そうだったのね」
橋本「そうだよ!」
裕翔「いやでも俺はね、今のABC-Zのはっしーから刺激受けてますよ」
橋本「ふふふ、ありがとうございます」
裕翔「歌もいっぱい歌ってるしね」
橋本「ありがとうございます」
裕翔「すごいいいことだと思います」
橋本「じゃあいきますか」


はっしーの言葉は本当にその言葉のまま、それ以上でもそれ以下でもないストレートなものでした。わたしははっしーの言葉がものすごくうれしかったです。でも、それを裕翔くんは真正面から受け取れず照れたように自分のこころを隠すかのようにオーバーに笑いながらなんとなく本題から逸らしていきます。核心には触れないように言葉を選んでいるような間もあり。最後の持っていき方は強引すぎてわらってしまいますが(笑)

正直このときすこしかなしかったです。JJでの同い年コンビはしゆとの会話なんてなかなか聞けるものではないし、自分たちから当時のことを話してくれるなんてなんて需要をわかりすぎている、と感動していたから。ものすごくすっきりしないものを抱えて、裕翔くんは自分がエリートとしてステージに立ってきたことを前向きに受け入れられてないのだなあって、このときからじわりじわりと感じてきました。


さらに、裕翔くんは明星の10000字インタビューでJr.時代のことをこんなふうに語っています。

ーJr.になってすぐJ.J.Expressが結成され、センターに選ばれるよね。
裕「ホントすぐでしたね。だから、目まぐるしかったです。いきなり、いいポジションに立たせてもらうことも多くて。撮影とかで“じゃあ並んで”って言われると“ここだろうな”って、自分から真ん中に立ったりしてましたね。今思えば、ヤなヤツですね」

ー入ったばっかでわからないから、それが普通だと思ったんだろうね。
裕「普通じゃないんだって、あとになって気づかされるんですけどね」



ーホント、Jr.になった直後から大活躍だったんだね。
裕「自分じゃ、調子に乗ったりしてる感覚はなかったんですけど、今思えば、気づかないうちに、どっかおかしくなってたと思うんです。幼かったな。すごく後悔してることがあって」

ー後悔?
裕「山ちゃんが入って、1年くらいかな。“やめようと思ってる”って相談されたことがあって。(中略)山ちゃん、踊りうまいって、みんなに言われてたんです。なのになんで、やめようと思うんだろうって思って。鈍感だったな。みんな、少しでもいいポジションに立ちたいって努力してるけど、なかなか報われないから悩むわけで。なのに、なんでやめたいと思うのか、なんで僕に相談してくるのかさえ、わからなくて」


わたしにとって幼いながら堂々とセンターに立つ裕翔くんの姿はとっても輝いていてかっこよくてだいすきで、ものすごく力をもらっていました。わたしがすきだった裕翔くんのことをまだ彼自身はこころからすきでいられないのだなあ、と時折さみしくおもうのです。

調子に乗っていた、とか他人の痛みに鈍感であったこと、そういうことが理由なのかもしれません。今考えればそうなのかもしれないけれど、右も左もわからないうちにセンターに立たされたにも関わらずそれをすっと受け入れて生きていける裕翔くんは本当にアイドルとして生命力のつよい勘のいい子どもだったんだろうとおもいます。やるべきことをやる、自分のいる位置を見誤らずなんの迷いもなく求められることを自分からできる、ということが裕翔くんをあの幼さにしてエリートにした理由なのではないかとわたしはおもっています。

当時の仕事量とその質が異常だったのは間違いないとおもいます。そんなエリートとして前を向いて走り続けなければならなかった、脇目も振らず走り続けた裕翔くんだから、裕翔くんめがけて走る子がたくさんいたのだとおもいます。
今のJr.を見ていてもおもうけれど、トップに立つ人に遠慮なんてしてほしくない。そこにいるからには容赦なくものすごくつよいひとでいてほしい。少なくともファンとして見ているわたしはそう思っています。だれかに嫌われるかもしれないけれど、そういう役回りになってしまうのは仕方ないとおもいます。幼いときにはそんなことわからないだろうけど、それを幼い背中に一身に背負いステージに、センターに立ち続けていた裕翔くんは本当にすごいひとです。
だからそんなにあのときの自分を責めないで、きらわないで……あのときの幼い裕翔くんに救われて支えられたひとはたくさんいるよ…!

20歳のお誕生日の翌日のコンサートで、裕翔くんは
「Jr.の頃から応援してくださっている方も、JUMPになってから応援してくださっている方も、よろしくお願いします」
と挨拶してくれました。あの幼きJr.の頃の、自分がすきになれない自分から、すきでいてくれるひともいると、裕翔くんは分かっておられます。なので、本当にこの文章は蛇足なのですが、ほんの少しでいいから、あのときの自分に寛容でいてあげてほしいなあと思います。




デビューから長い年月が経ち、あのときにぱっくりと空いた溝の両側でくるしんでいたひとたちが歩み寄れるほどになってきました。
きっとこれからそういう話が出る場面にたくさん遭遇できるのではないかなあとおもっています。WUさんが組んでくださったいのありはっしーの対談がたのしみで仕方ないです。

JUMPの10周年が近づいてきて、雑誌でJr.時代の曲もコンサートでできたら…といった声があがっていました。Ya-Ya-yahはもちろんのこと、JJの曲もわたしは聴きたい…!!!見違えるほどおおきくなった裕翔くんがまた堂々とセンターに立ってJJの曲を歌う未来が待っていてほしいので、それまでにすこしでも裕翔くんがあのときの自分をすきになってくれたらいいなあとおもっています。

いのありのおにいちゃんたちは特にJJをずっと大切におもってくれているなあと感じるので、よい影響を与えてくれるといいなあ…

また、俳優としての裾野が広がって、互いの交友関係から浅香くんと裕翔くんは既にどこかで出会っているのではないかとも勝手におもっているので、そういうきっかけでも裕翔くん自身の雪解けがはじまるといいなあとおもっています

JJにもいろんな歴史があるけれど、それをすべてねじ伏せるように裕翔くんには真ん中に立ってほしいなあ、裕翔くんがいなきゃJ.J.Expressははじまらないよ!という本当に本当に勝手な願望です。


これだけ時間が経っても難しいことをすぐにどうこうできるわけでもないので、いろんなきっかけからいつか、裕翔くんが幼くしてエリートとしてがんばっていた自分を、あのときの自分にはいやな部分もあったけど、あれはあれでよかったんだろう、と、そうおもえる日がきてくれたらいいなあと願っています。

すべてわたしの杞憂に過ぎないかもしれませんが…!




裕翔くん、幼きあなたはとびっきりかわいくてかっこよくてつよくて眩しかったよ!それは本当にこの世界に誇れることだとわたしは今までも、これからも、おもっています!


You were J.J.Express !!
That's Right !!!!!

ふたつの「ピンクとグレー」

映画「ピンクとグレー」観ました。

わたしが1/9という日を主演俳優のファンという、当事者として迎えられたことを本当に嬉しく思います。映画主演俳優の中島裕翔はアイドルの傍ら、主演俳優として記念すべき1/9を見据え見事に走り抜けました、そしてこれからぐんぐんスピードをあげて走っていきます。それをリアルに感じることができて、裕翔くんにはこんなにも素晴らしい世界が待っていてこれからも眩しすぎる未来があるのだよ!と幼き日のわたしに教えてあげたいくらいです。


ここからネタバレを含むことを書くので、まだ見ておられない方は読まないことをおすすめします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは原作を読んで映画を見ました。見終わった後にもやっとしたものも残りました。

 

加藤シゲアキの「ピンクとグレー」

行定勲の「ピンクとグレー」

ふたつのピンクとグレーについて感じたことをフレッシュなまま残します。

 

 

わたしは加藤シゲアキの「ピンクとグレー」が本当にすきです。原作を深く読みすぎると映画に集中できないとおもい、さらっと読んだつもりだったのに、映画を見るとここはこうだった、あそこはああだった、とおもうのです。それほどわたしのこころに深くささっているものが多かったです。

 

加藤シゲアキのピンクとグレーは「恋とか愛とかの類ではない」男同士の友情が色濃くかかれているとおもっています。シンメがだいすきなわたしは本当に、この「恋とか愛とかの類ではない」男同士のあつい友情がすきです。だからピンクとグレーはたまらないのです。同性愛に似ているかもしれないけれど、そうではないのです。ごっちがりばちゃんに仕事を振りつづけたのは、りばちゃんと一緒に仕事がしたくて、芸能という世界でもふたり並んでやっていきたくて、はやく自分のいるところにきてほしいっていう切実な思いがこめられているんですよ!!!映画ではごっち側の思いの経過は描かれないので、ふたりの口論のシーンは、ごっちは本当はりばちゃんに隣にきてほしいんだよ!!!!!!!!!!ってこころの中で叫んでました。このもどかしさ、原作を読んでいるひとしか感じていないなんて…

どこかで繋がっているふたり がすきなんです。淡白なようなのに、こころの奥ではお互いに対するおもいやりやあつい思いがある。そういうふたりが描かれていて。

 

「絶望的に素晴らしいこの世界の真ん中に僕は君と共にある」

わたしにはこういうふうにシンメが見えているんだなあって、ピンクとグレーに散りばめられている素敵な日本語をかみしめるように読みました。

なにより、わたしが見ているアイドル像が、現役アイドルの描くものとかけ離れていないことが嬉しくて。ちぐはぐでなかったんだ~という謎の安堵感。

 

 

 

行定監督の「ピンクとグレー」

わたしがもやっとしたのは、この「恋とか愛とかの類ではない」ものがなかったから。原作では白木蓮吾を演じるうちに、ごっちを理解していくりばちゃんなのに、映画のりばちゃんは演じてもなお、理解できなかった。ごっちとりばちゃんには最初から明らかな差があった。やはり奥底でつながっていたんだ、とわたしを夢心地でおわられてくれたのは原作。実際はそんなことはないのだと、気持ちよくおわらせてくれなかったのが映画。

芸能界の裏側。それを描くには原作は淡いタッチだったのかもしれません。わたしにとって、原作は「淡いピンクとグレー」、映画は「ビビッドなピンクとグレー」。

 

他人になることができるわけもなく、他人のことを理解できるはずもない。そのことを描いているのはかわりないと思います。それでも、原作はわたしが見ているジャニーズのアイドル像を崩さないものでした。それはジャニーズとして育ったシゲアキくんの無意識のものなのかもしれない、なんておもったりもして。行定監督は、芸能界の裏側とそこに渦巻く人のこころの黒い部分をビビッドに斬新に巧みに描かれているなあ、と感じました。夢ばっかり見ていないで、地に足つけて、人を気にしてばかりいないで、自分を見つめなさい、と言われているような気持ちになりました。映画は綺麗ではないけれど、本当に人間らしい。

そんな人間らしさを演じる裕翔くんのそばに菅田くんがいてくれて本当によかったなあ、とおもいます。シンプルに、お芝居でぶつかってきてくれて、ぶつかっていける、そんな相手にこのタイミングで恵まれたことも素晴らしい巡り合わせです。ぶつかりあった結果、仲を深めていくすだゆとは原作のふたりのようでとっても綺麗です。夏帆ちゃんとの巡り合わせも素晴らしいものです。夏帆ちゃん以外が思いつきません。劇中劇のごっち、りばちゃん、サリーのトライアングルもまたとっても綺麗です。

淡いのにビビッドなすだゆとふたりのきらめきをまた作品の中で見たいものです、そんな機会に恵まれますよう。

 

 

映画には裕翔くんの背景を見る余地があって。センターを外されてから、きっとやまちゃんになるにはどうしたらいいのか考えたこともあるのだろうなあ、ともおもって。うまくいかなくていらいらして部屋の壁に穴をあけた裕翔くんと、感情的にごっちの肖像画を傷つけるりばちゃんはどこかリンクしているなあと感じたり。悩んで悩んでものすごく黒い感情をまとっていた時期を越えて、自分らしさで勝負して世界を切り開いている裕翔くんに本当にぴったりで。

こういうふうに見ているから、わたしは映画ピンクとグレーのグレーな世界を真っ向から否定するきもちにはならなかったのだろうとおもいます。裕翔くんのファンでなければもっと否定的な感情を抱いていたかもしれない。


しかし、こんなにぴったりな映画に初出演初主演で出逢えるものなのでしょうか?必然だったのではないかとおもうくらい。素敵な作品、素敵な原作者である先輩、素敵な監督、素敵な共演者に恵まれた裕翔くんの記念すべき銀幕デビューは文句のつけどころがないです。まるで裕翔くんのためにお膳立てされたかのような、夢のような現実。でもこれはすべて裕翔くんが自分で引き寄せたもので、きっとこれからもこうやって裕翔くんは素敵なひとやものを引きつけて離さないひとになっていくのだろうなあとおもいます。

わたしにとって裕翔くんはNo.1だけれど、裕翔くんの生きる世界で裕翔くんは他のだれでもないオンリーワンの自分を手に入れました。それは本当につよいことです。中島裕翔というジャンルを生きていく裕翔くんを見られる未来が本当に素敵で、わたしの未来もとっても眩しくて輝いています。

 


 

 

やまちゃんは裕翔くんに、お願いだからはやくこっちにきてよっておもっていたのかな。こんなことも思いながらピンクとグレーを読み、観ました。

いずれにしろ、ふたりは絶望的に素晴らしい世界に並んでいます。とても美しくて尊い。そして、やまちゃんがソロデビューした日に裕翔くんは銀幕デビューを果たしました。新たな山田涼介と新たな中島裕翔が誕生した日が1/9。きっとふたりはそういう運命のもと引き合わされたふたり。ああつよい。ふたりのいる未来につよい光が差しすぎていてわたしは直視することができないけれど、わたしは淡い色を彼らから見出してこれからも生きていくのだろうなあ。 

 



 

はやくもう一度映画「ピンクとグレー」を見たい。もっともっとこの映画から溢れるほどの美を浴びながら、受け取れる情報を余すところなく受け取りたい咀嚼したい!

何回も映画を見て、何回も原作を読んで、これっきりでなくこれから長い時間をかけて味わえるピンクとグレー、最高ですね。もしかしたら、もっと先のわたしは、今とは違うピンクとグレーを見ているかもしれない。もっと好きになるかもしれないし、失望するかもしれない。

  

ふたつの「ピンクとグレー」

ふたつあるからおもしろい。

ふたつのピンクとグレーが絡まりあってさらに深みを増していく世界の真ん中にいるブレることなく美しい裕翔くん。すべてのひとの本気と共鳴する裕翔くんの本気。俳優:中島裕翔のすべてが詰まっている「ピンクとグレー」、たくさんのひとにみていただけますように!!!

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シンメトリーの宇宙地図

あらちかがなんだかおかしい。いや、別にいいのだけれど。

そう思いはじめたのは桜がきれいに咲き乱れていた六本木の地下でふたりを見てからだったかなあ。それから半年以上こんな調子で。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬がやってきた。季節を4つ巡ってしまった。ジャニーズに在るありとあらゆるシンメ芸を総ナメするつもりなのではないかとすら思ったりしている。

あらちかにはじめましての方、あらちかとは、ジャニーズJr.の阿部顕嵐と宮近海斗のふたりのことです。まずどんなシンメなのか気になる…という方はこちらの秀逸なあらちかまとめをどうぞ!

matome.naver.jp

シンメではあるけれど、ヲタクに好まれるような過度なスキンシップを嫌い、ステージでは話すどころかすれ違いざまに目も合わさない。それでもどこか繋がっている。お互いがお互いの存在を意識するあまり不自然すぎるちょっとまわり道の愛情がある。形としては見えないけれど、見えないものを見て感じていた。それがわたしがおもうあらちかで、大好きでずぶずぶ沼へと躊躇うこともなく浸かったあらちか。うん、そうだった。だっておなじグループでおなじ括りで一緒にいるのに目を合わせて会話をしているところすら想像できないふたり。公式写真でふたりでハートマークをつくるようなシンメではなかった。あるのになくて、知れば知るほどつかめない、とんでもないシンメだと息を飲んだのはあらちかがはじめてだった。


なのに。背中合わせで歌うことにとどまらず、向かい合って思わずにやけながら歌ったり、向かい合って相手の頬に手を添えてみたり、横から相手の両頬をつかんでたこ口にしたり、前から覆い被さってチューしたように見せたり…

ひどい…これはひどすぎる!
好きだから、目撃してしまった瞬間は光の速さで沸騰するのに、時間が経ち熱が引いてくると残るもやもや…今までずっと避けてきた行動を自分たちからするふたり。不自然なのに自然なふたりを、どこかで繋がっているふたりを、さりげなく視線が交差するふたりを、お互いの存在を意識するあまりスルーするふたりを、シンメでいるふたりを、目撃してあらちかジャスティスと勝手に騒ぎ立てているだけでしあわせだった。つかもうと近づくとするりとすり抜けてその先でまた愛らしく微笑んでいるふたりを考えながら追うことが楽しかった。だから急なシフトチェンジとその意図が見えずすこしもやがかかっていた。別にいいのだけど、という気持ちをそばに置きながら。




あらちかは紆余曲折ありながらも、とてもシンプルにシンメしているように思うのだけど、春からのおしごとでなんらかの括りの中のふたりではなく、あらちかという最小単位で括られる機会に恵まれたときに何かが変わったのかもしれない、シンメのあいつ、ライバルのあいつ、だいすきなあいつ、の前に「離したくない」がはっきりと現れたような気がして。
特に積極的になった顕嵐くんの行動には必ず根っこに考えや思いがあるはずで、仮に凄まじい黄色い声援をもらえるシンメ芸をやりたいという思いがあったとしても、そこで終わらないなにかがあるはずで。顕嵐担さんの考えをぜひお聞きしてみたいところ…!



わたしは固定のグループに所属するとシンメは風化していくような気がしていて。ふたりがそこにいることは何ら変わりないのに、シンメではなくコンビのふたり。「シンメ」考えれば考えるほど奥が深い。コンビは至るところにあるのに、シンメは大勢いる中で神様のいたずらで対の位置で踊ることになったことがストーリーのはじまりのふたり。偶然とも必然ともいえる出会いとあゆみにつよく惹かれるのだろうなあ。そんなシンメとしてうまれたあらちか、シンメの可能性を残しつつあらちかにしかつくれないふたりの道を行くのだと勝手におもっているし、きっと今でもあゆんでいるのだとおもう。けれどすこし変わったのは、今までとはまた違った自分たちを開拓することでふたりの可能性を探りながらシンメとして強烈につよくなっておくことを見据えているのかもしれない、なんて。

二度とおまえ離さないの春、ずっとふたりで生きていこうの夏を越えて、ふたりが18歳シンメになった秋も過ぎ去った2015年。2016年一発目は1年越しの想いが叶うステージが待っています。青山ではないけど、きっとそこが青山になる。これからどんなふたりになっていくのか楽しみでしかたないです。答え合わせがいつかできると信じて、ふたりがつよくつよくあゆんでいく道をたどり続けていきます。ふたりの道がずっと重なっていなくてもいい、反対方向へ向かうことなく、なんとなく近くを進んでたまに重なってくれればいい。どんな地図が出来上がるのかな〜伊能忠敬もびっくりの地図ができるよ、きっと!!!*1

*1:顕嵐くんはTJ対談で頑なに伊能忠敬になりたがっていた

松竹座にある少年たちのおおきな夢をみてきました

先日、関西ジャニーズJr.の少年たちを観るために人生ではじめて松竹座に足を踏み入れてきました。

これまで松竹座は私にとって近くて遠い場所でした。距離はそう遠くないのになかなか近づけない場所。そういう認識だったのは関西ジャニーズJr.とそのファンの箱庭だと感じていたからで*1、安易に外野がはいりこめる場所ではないとおもっていたからです。
 
しかしそこに飛びこんでみようとおもったのは以前から気になっていた西畑くんの存在があったからで、大吾くんの演技、闇突きをこの夏この目で見ないと絶対に後悔するだろうとつよく思ったからです。幸運なことに康二くんを応援している友人とご一緒することができて心強い支えと共に松竹座に足を踏み入れました。
 
外野なりの感想を書き留めておきます。
 
 
 
 
ジャニーズWESTさんがいなくなってはじめての純粋な舞台、新しい関西ジャニーズJr.としての挑戦であると聞いていました。
手元にある少年たち2012のDVDで予習していて、それが私の知る少年たちなので比べてしまうこともありました。キャリアのある先輩たちと比べればまだまだ経験の浅い子もたくさんいたようにおもいます。でもそれが物足りなさに繋がらなくて。むしろお腹いっぱいにしてもらいました。みんな全力で目をきらきらさせてものすごくのびのびとステージに立っていて。これはまるっと絆の深い関西の文化だからこそつくりだせるステージの空気感なのだろうと感じました。
 
龍太くん、康二くんがステージにいる安心感と安定感は言わずもがなですが、それに加えて西畑くんはなにかを背負って光っているようにみえて*2。演技の力量を頼られ、以前のものからいろんな要素をつめこまれた役を演じていて背負うものはおおきかった*3と外野のわたしが感じたのに、彼はそれすらも光る力に還元しているようにみえました。ステージにぽつんと立つ彼の背後にある余白にものすごく力強いオーラが見えた気がしていて、この松竹座という場所が彼をさらにつよくしているのかもしれないとおもいました。
終盤たくさんの関西ジャニーズJr.を背にスポットライトを浴びて花道にひとり立ち潤んだ瞳でやわらかな表情でとおくを見つめる西畑くん。間違いなくここを背負っているひとだけど、それすらも糧でひたすらにまっすぐで潰れないつよさがある、きっとここがホームな彼は無敵だと、そう感じました。外で得たものは自分の宝であると同時に関ジュの宝であると彼自身が胸をはっているようにみえて。でもそれが彼だけのものではなく関西Jr.に共通することのような気もしています。白くてちゅるんとしていてやわらかいのに男らしさがキラリとひかる瞬間をたくさん目撃してしまいました。トップクレジット西畑大吾の世界を全身でしびれるほど感じてこぼれおちるほど受けとってきました。
 
 
優馬くんのソロコン以来ぐっと身近な存在になったギャン末の活躍もものすごく。丈くんのダンスはもちろん、歌もお芝居もなんでもこいな面を知ってしまってキャリアに裏打ちされた自信とつよさが伝わってきて視線ドロボーされっぱなし…大橋くんはかわいいのにダイナミックな踊りをするなぁと気になっていて、よくとおるハスキーボイスで堂々とお芝居していてステージに立つと変わる人だとおもいました。
なんにしてもギャン末のショータイムの出番は当たり前のように一緒なので目が足りるわけもなく…末様をあまり追えなかったのはかなり後悔しています…右耳に髪をかけていた末様ものすごくキュートでした。
 
そして大注目していたのが14年組の道枝くん。とってもキュートなルックスでこの子はぜったいおおきい存在になる!とお茶の間でゆるりと目をかけている存在でした。ちびっこのセンターをとって堂々と振る舞う姿は、わたしの入り口であったエリート優良ショタの姿に間違いなく、これからも目をかけていくしかないと思いを新たにしました。
そして赤外線くんを絶妙に演じていた奥村くんがわたしのツボで…感謝祭で勝利くんに飛びたい飛びたい!とせがんだりセクシーローズとささやいていて、友人とおなか抱えてわらった*4ことを思い出しました…これからも楽しみです奥村くん。
横目で見ていた子達*5がいつのまにかたくましくなっていたのに驚いたように、このちいさな子たちもいつかはこの場所でたくさんの後輩を背負いステージに立つ日がやってくるのだなとぼんやりとかんがえたりしていました。
 
 
 
演目としてはRivalが本当に大好きで。
この想いの果てに 何があろうと 引き戻れない 決めたOnly way  絶望から 生まれた命なら 全てを捧げよう On my life  今すぐ
この歌詞を歌う康二くんと西畑くん。最後に胸ぐらを掴み至近距離で見つめあうふたり。暗転してふたりだけが太陽のようなあたたかい光に照らされる世界がとってもキレイで。なのにどこか切なくて。
 
ここでの役に限らずジャニーズJr.ってこういう存在なのだろうとおもったりして。本人の意図にそぐわないけれどタレントとしてよい環境にほうりこまれることだってある。引き戻れない道を、行くと決めた一本道を行くしかないときだってある。どんな想いがあろうと別れた仲間がライバルになろうとも行くしかない。それが後半にこめられているだろうRivalがわたしはすきで。だれかを傷つけるくらいなら静かに自分が傷を負うことを選ぶような、すべてを背負いきってそれすらも力にしていくような、そんなタレントのつよさにくるしいけれどわたしは救われてきたから、そこにつよく惹かれるのかもしれない。
 
 
 
ショータイム、あらかじめ関西のオリ曲は勉強していましたが、これが…!と気迫と空気感に圧倒されました。先輩が歌っていたあのパートをあの子が歌う。脈絡と受け継がれているものを目の当たりにして、堂々といきいきと楽しそうに歌って踊る彼らが眩しくて眩しくて。みんながひとつになってキラキラして迫ってくるような。ここからまたどこかへ羽ばたいていくこと、そして関西ジャニーズJr.として生きていることに誇りをもっているように感じてただただ眩しかったです。
 
松竹座に立つ彼らがそこから見る眩しくておおきな夢のかけらをのぞくことができたような気がしていて、このタイミングで松竹座の世界にすべりこめたことを幸運におもいます。関西にしかない愛にあふれた文化にすこしふれられたこともうれしかったです。公演後にふりかえったあの入り口にあの空間にまたすべりこめる日がくるのを楽しみにしています。
 
少年たち、1ヶ月間お疲れ様でした!!すてきな空間をありがとうございました!!

*1:ヲタ卒した友人が関ジュ担になったときに関西独特の文化をよく聞かされていたので

*2:わたしが大吾くん贔屓に見ていたからかもしれないけれど

*3:ひとりで4役分の要素をこなしていたそう

*4:絶妙な棒加減で笑わずにはいられない

*5:伊織くん、大晴くん、柊和くんとか

この夏の覇者がすきでした

新緑の季節にサマーステーション?もう夏のお知らせか…と思っていたのが、もうそのサマーステーションが今日で終わりを迎えました。チーム武、優勝おめでとうございました!

この夏わたしが愛した箱であるチーム覇のおはなしを残しておきます。




安井謙太郎・阿部顕嵐・宮近海斗・橋本涼井上瑞稀

5人のメンバーを見て思ったことは、異色ではあるけれどバランスがいいな、ということでした。Jr.のまとめ役、高3シンメ、中3コンビ。強烈な個性を出すでもない優等生があつまっている印象でした。こんなにシンプルに名前の羅列だけでこじんまりとまとまっているグループはなかったように思います。

リーダーの安井くんはメンバー内の関係をピラミッドにしないで、横並びにすることを選んでくれました。チーム覇は男の子の集まりなのに、誰も声を荒げることもなく、みんなで手をつないで同じ歩幅で進んでいたようにおもいます。そしてメンバー間だけでなくチーム覇を応援してくれているファンにもその手は差し伸べられていたな、ともおもっています。その雰囲気は彼らのパフォーマンスにも表れていたような気がします。

チーム覇は我武者羅に加えて今年から加わったチームで、ダークホース的存在だと紹介されていました。新鋭の覇は新しい種目なので目新しく有利では、という声もありましたが、年少の瑞稀を除く4人のメンバーがパフォーマンスバトル初参加、全員が初挑戦の種目で、他チームが用意した去年よりもレベルアップしたものと戦っていくことは、土台がない中で本当に大変だったろうと終わった今おもいます。

Surviveするために誰か蹴落とす? No way
傷つけあうことに意味なんてないんだ この手を掴めばいい We can get it all

チーム覇はダークホースと言われている自分たちを受け入れて、ダークホースらしく敢えてこのような選曲をしたのなら本当にできた人たちの集まりだと勝手にうるうるしています。

一緒にー!楽しんでる~?!そんな声がたくさん客席に投げかけられる覇ちゃんならではのステージづくりだったとおもいます。ギラギラと勝負に全力!というよりも、ステージに立ってパフォーマンスを見てもらう、ことを一番に考えていたのではないかなあと思います。お客さんと一緒に盛り上がって一緒に勝ちを掴んでいけたら、というチームだったような。

ちいさくて気がつけばぎゅっとくっついている覇ちゃん。チャンピオン、前半は個人戦だったのに後半になるとチーム戦がたくさん繰り広げられるバルコニーは眩しく、お互いに交じり合って影響を受けているのを感じてチームとしての成長を後半の公演で目の当たりにしました。



VS公演最終戦。チーム覇は白星をあげることができませんでした。結果発表後に再びステージに登場したチーム覇はみんな笑顔で“ステージに立つひと”でした。悔しさが滲む表情のうえに達成感にも似たようなこの夏を誇りにおもう顔が見えたことは忘れません。Summer 上々!!ではセンターに立ち盛り上げ隊長なみやちかくん。サビの「空も海も蝉の声も~♪」で2回天を仰ぐみやちかくん。最終公演のSummer 上々!!ではどんな思いでどんな表情でEXシアターの天井を見つめていたのかなあ。

Oh yeah!でひとりひとりを労うようにそれぞれに愛おしそうに絡む安井くん。この箱のおわりを噛みしめていたようにも見えました。やっと手にした短い間だけれど自分が所属する箱。その箱をとても慈しんで愛で大切に育ててくださったなあとおもいます。春の六本木、最年少シンメとして参加したあらちか。みやちかくんは勢いで喋っては安井くんに助けられていたし、顕嵐くんは発言することすら珍しかった。そんなふたりが夏の六本木では頼もしいシンメとなりました。きっとそれは安井くんがリーダーシップをとりすぎず、中堅であるあらちかに信頼をおいて自由に泳がせてくれたからだと感じています。みやちかくんから発せられるC&R、チーム覇はお客さんと一緒に、というコンセプトがあったからできたものなのかもしれないな、とおもっています。


やすいくん、あらちか、はしみずとそれぞれにこの夏他にも行くべき場所があるメンバーでした。それでも、きっとこの夏は彼らの中心、戻ってくるホームはチーム覇だったようにおもいます。だからわたしもこの夏は真っ直ぐにチーム覇に愛を注ぐことができたとおもっています。
この夏六本木の地下にこだましていた\明るくいきまっしょ~!!!/も、ガムシャララの\シャラララベイベ!/ \一緒にベイベ!/も、KQJの\さあさあみなさんご一緒に~!/も、Summer 上々!!の\上々!!/もキラキラ輝く覇ちゃんをさらに彩る最高のC&Rだったとおもいます!


チーム覇の表題曲といっていいOne Love。ロスが続く日々ももっと月日が流れてもこの曲を聴けばいつでも覇ちゃんへの愛で心が満たされる気がします。覇ちゃんのずるいところは歌わない2番にきっと言いたかっただろう言葉が込められているところ。余白をつかうおしゃれでどこまでもできたひとたちです!

わたしはこの夏、チーム覇色にしっかりと染められました。
\俺たちが覇者!チーム覇!!!/
おつかれさまでした!!!最高にかわいくてあつい夏をありがとう!!!







最後に覇ちゃんにぴったりの黄色い薔薇の花言葉を置いておきます。

友情・献身・可憐・美・さわやか・あなたを恋します

そして、黄色い小輪薔薇の花言葉

笑って別れましょう

2年かけて“担降り”を受容したはなし

“担降り”をしたわけではないのですが…というのが私は担降り制度を放棄していて*1、今の状況が“担降り”したって言えるんだろうな、とやっと腑に落ちたので言葉で残しておこうとおもって書いています。面倒くさくてすいません!

 

 

私が中島裕翔くんを担当しはじめて10年になります。担当制度をはじめたばかりの幼い私にとって、担歴2桁を掲げるヲタクはまぶしくて憧れで、私も裕翔くんの担歴2桁を掲げたい!とつよくおもったのを、今でも鮮明に覚えています。そして、裕翔担をやめるとき、そのときがきたら、それはヲタ卒するときである、と思っていました。
私が彼を応援していて最も沸点に達しやすい感情は「かっこいい」でした。他のタレントにもそうだったので、大抵年上が好きで、年下を好きになる気持ちを私自身はどこか理解できずにいました。年下が好きな人もいるよねってくらい。だからまさか自分が年下に惹かれるなんて思ってもいませんでした。
そしてもうひとつ、未成年のタレントはいなくなってしまうことがある、という事実をたくさん突きつけられて、友人が悲しみ苦しんでいる姿を見てきたからこそ、年下には手を出さないと、特にJr.への興味には蓋をしていました。それと同時に当時の私は一途が正義だと思っていたので、完全に鎖国していました。
 
 

しかし2年前、そんな私のJr.への興味の蓋をふたたび開けてくれたペリーのような子がひとりいました。

少年倶楽部ダンスがうまくて引き込まれそうになる大きな輝く瞳をもった少年を見つけてしまいました。

それが、Jr.の宮近海斗くんでした。

まったく知らなかった人のことを1から知っていくことの楽しさを久しぶりに感じて、とっても楽しくて心がおどっていたのをよく覚えています。まさに“転げ落ちるみたいに加速して”でした。加速してしまってもうブレーキがいよいよ自分でかけられないと自覚したときによぎった言葉が“担降り”でした。

 
私にとって、担降りは今担当している人にお別れをして、次に担当する人と共に進んでいくというイメージがありました。
大袈裟だけれど、裕翔くんを放りだして、宮近くんを選ぶのか。そんなことが私にできるのか。裕翔くんのことを嫌いになったわけではなくてむしろ好きだし、これからどんな道を進んでいくのかまだまだ見ていたいし担降りなんてできない、と思いました。(担歴2桁掲げたいし。)
でも鎖国していた私の世界を広げて魔法をかけ続けてくれる宮近くんのこれからも見てみたい。そんな気持ちの間で揺れ動いて、でも担降りをしたくなくてしょうがなくて、悩む日々がありました。現場に行けば必ず落ちる。そんな予感から宮近くんの現場には行きませんでした。
 
 
そんなときにつけていたテレビから聞こえてきた言葉が私を救ってくれました。
離婚を防ぎたいなら離婚した後の自分を考えてそのときにやりたいことを今やればいい
ニュアンスなんですけども。これだ!と思いました。担降りが離婚だなんておかしいけども、ジャニヲタからしたらそんな感覚なのかもしれない。
 
この言葉を聞いてすぐひらめいたのが宮近くんのことを呟くアカウントをつくることでした。担降りしたくないからつくった居場所で私のShelterでした。
何もためらわずに宮近くんのことを好きな時に好きなだけ吐き出せる場所があって、とっても気持ちが楽になりました。宮近くんの現場にも足を運びました。こんなに素敵なパフォーマンスを見る機会をみすみす逃してきた自分は、とってももったいないことをしていたのだと感じさせてくれました。
 
それでもときどき担降りすると腹をくくれないのは、不確かである宮近くんの未来に全体重を傾けることができずに、保険のように裕翔くんに頼っているのではないかと思うときもありました。
でも、私が誰の担当を名乗っていようと私以外には関係なくて、タレントにとっては自分にお金を落としてくれる人が減らなければいいのでは?なんていうなんとも都合のいい勝手なこじつけをつくって気持ちを落ち着かせました。好きな人は好きだし!ひとりになんて決められないよ!っていう明らかな開き直り。
 
そして担降り制度が煩わしくて、担当の概念で雁字搦めにされている自分がとても窮屈で仕方なくて。素敵な方の言葉をたくさん浴びて、担当を勝手に背負わないこと、好きなときに見たいひとを見ればいい、私だってチャンネル変えればいいっていう結果にたどり着きました。
 
年下を好きになるなんて、ともおもっていましたが入口であった宮近くんのことを私はひとりのパフォーマーとして尊敬しているから年齢なんて関係なかったのだと気づかされました。そこから入っておかげさまで私の最も沸点に達しやすい感情は「かわいい」に移行しました。*2
 
担降りした先で元担のどこが好きだったのか分かるっていうけど、私はどうなんだろう?なんて考えてみたり、宮近くんと裕翔くんを比べて通ずるところがあれば勝手に喜んで見たりと、担降り擬似体験も楽しみました。担当はずっと裕翔くんだけだったので、担降りは未知の領域で何もかもが新鮮で、気楽に楽しくその領域を味わえるところに気持ちを落ち着かせることができたのは、私の中でとても大きかったです。
 
アイドルを応援していれば楽しいことばかりではなくて、つらかったり悲しかったりすることがでてきますが、チャンネルを変えることができれば逃げ道になって鬱を回避できる、ということもひとつ学んだことでした。行ったり来たりすることで救われたことが何度もありました。
アイドルでつらくなったらアイドルで癒す!ふらっと戻ってもいつもきらきらして笑顔で迎えてくれる存在は偉大でした。逃げた先で癒されながら時間をかけて、目を背けてきた状況を自分のペースで受け入れられれば万々歳です。
二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざがありますが、アイドルに関してはそもそも得ようとしていないし、だからこそ何兎も追えば追うほど忙しくて同じ熱量ではとても追えないかもしれないけれど、しあわせが増えて楽しいのだろうな、と私は思います。
 

*1:いわゆる掛け持ちっていうやつです

*2:かわいいの五段活用しかできない

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