永遠にかわいい末っ子くん
未来の特急
裕翔くんがセンター交代を乗り越えた話はとっても有名な話だとおもいます。やまちゃんとの関係がさらによりよいものとなりとても感慨深くあり、その歴史がわたしはだいすきで未来に期待しかありません。
そんな中でもずっともやがかかっていることがわたしにはあります。ここからはずーっとわたしの憶測による話になります。
裕翔くんはデビュー後の自身の変化について言及できるほどつよくなられました。それでも裕翔くんは自身のJr.時代の話にはよわいなあとおもっています。
デビュー後の変化を語るに当たってまずは裕翔くんがJr.時代どんなにエリートであったかがたいてい紹介されます。それが裕翔くんは本当にすきでないのだなあとおもいます。そういう場面で自分のエリートな過去をひけらかすこと、波のある人生のあゆみを好んで話すことなんてしたくないとは思うのですが、裕翔くんの反応は、わらっているけれど、こころの奥底でものすごくつよく拒否しているようなのです。
「J.J.Expressのセンターを務めていました」
という紹介VTR中のコメントに小窓で
「そんなのもあったな〜〜」
と笑いながらいう裕翔くんがいました。
ぜったいに「そんなのもあったな〜〜」なはずはないんです。「そんなの」。こっちのショックがおおきくてそのあとのエピソード紹介はふわふわしながら見てました、正直なところ。ちいさなことなのですが。JJが裕翔くんにとってそんなに軽いものではない、とわたしは信じています。
2013年の少年倶楽部の未公開シーンとして、はっしーと裕翔くんの会話が放送されました。ふたりの会話はこんなものでした。自分のために文字起こししてみました。
橋本「エールについて」
裕翔「エールについて」
橋本「俺ねー、裕翔くんにエールもらったことあるんですよ、実は」
裕翔「え、いつですか」
橋本「J.J.Expressのとき」
裕翔「ハハハ」
橋本「あの、裕翔くんがセンターにずっとばーんって立ってて」
裕翔「はいはいはい」
橋本「いやほんと俺はなんか、この人の後ろでほんとにもうずっと踊っていたい、」
裕翔「ほんとにぃー?」
橋本「この人がいないとJ.J.Expressはじまらない!と思ってたからね」
裕翔「ほぉんとにぃー?」
橋本「うん、だからほんとに、」
裕翔「言いすぎじゃないの?」
橋本「裕翔は本当にエールの人だなって思いましたね」
裕翔「そう…ぼく〜はですねぇ、いやでもなんか、そういう風に見られてるとは思わなかった、今まで」
橋本「まじで」
裕翔「うん、なんか普通にだって、一番歳近いし、」
橋本「そうだね」
はしゆと「同い年だから」
裕翔「だからー、すごいいっぱいしゃべってたし、」
橋本「うん」
裕翔「他にいのちゃんとか大ちゃんとかもいっぱいいたけど」
橋本「確かにな!」
裕翔「けっこうここやっぱ仲よかった気がする」
橋本「そうね、うん、そうね」
裕翔「取材の現場でもさ、けっこう仲良かったりとかして、あ、そうだったのね」
橋本「そうだよ!」
裕翔「いやでも俺はね、今のABC-Zのはっしーから刺激受けてますよ」
橋本「ふふふ、ありがとうございます」
裕翔「歌もいっぱい歌ってるしね」
橋本「ありがとうございます」
裕翔「すごいいいことだと思います」
橋本「じゃあいきますか」
はっしーの言葉は本当にその言葉のまま、それ以上でもそれ以下でもないストレートなものでした。わたしははっしーの言葉がものすごくうれしかったです。でも、それを裕翔くんは真正面から受け取れず照れたように自分のこころを隠すかのようにオーバーに笑いながらなんとなく本題から逸らしていきます。核心には触れないように言葉を選んでいるような間もあり。最後の持っていき方は強引すぎてわらってしまいますが(笑)
正直このときすこしかなしかったです。JJでの同い年コンビはしゆとの会話なんてなかなか聞けるものではないし、自分たちから当時のことを話してくれるなんてなんて需要をわかりすぎている、と感動していたから。ものすごくすっきりしないものを抱えて、裕翔くんは自分がエリートとしてステージに立ってきたことを前向きに受け入れられてないのだなあって、このときからじわりじわりと感じてきました。
さらに、裕翔くんは明星の10000字インタビューでJr.時代のことをこんなふうに語っています。
ーJr.になってすぐJ.J.Expressが結成され、センターに選ばれるよね。
裕「ホントすぐでしたね。だから、目まぐるしかったです。いきなり、いいポジションに立たせてもらうことも多くて。撮影とかで“じゃあ並んで”って言われると“ここだろうな”って、自分から真ん中に立ったりしてましたね。今思えば、ヤなヤツですね」ー入ったばっかでわからないから、それが普通だと思ったんだろうね。
裕「普通じゃないんだって、あとになって気づかされるんですけどね」
ーホント、Jr.になった直後から大活躍だったんだね。
裕「自分じゃ、調子に乗ったりしてる感覚はなかったんですけど、今思えば、気づかないうちに、どっかおかしくなってたと思うんです。幼かったな。すごく後悔してることがあって」ー後悔?
裕「山ちゃんが入って、1年くらいかな。“やめようと思ってる”って相談されたことがあって。(中略)山ちゃん、踊りうまいって、みんなに言われてたんです。なのになんで、やめようと思うんだろうって思って。鈍感だったな。みんな、少しでもいいポジションに立ちたいって努力してるけど、なかなか報われないから悩むわけで。なのに、なんでやめたいと思うのか、なんで僕に相談してくるのかさえ、わからなくて」
わたしにとって幼いながら堂々とセンターに立つ裕翔くんの姿はとっても輝いていてかっこよくてだいすきで、ものすごく力をもらっていました。わたしがすきだった裕翔くんのことをまだ彼自身はこころからすきでいられないのだなあ、と時折さみしくおもうのです。
調子に乗っていた、とか他人の痛みに鈍感であったこと、そういうことが理由なのかもしれません。今考えればそうなのかもしれないけれど、右も左もわからないうちにセンターに立たされたにも関わらずそれをすっと受け入れて生きていける裕翔くんは本当にアイドルとして生命力のつよい勘のいい子どもだったんだろうとおもいます。やるべきことをやる、自分のいる位置を見誤らずなんの迷いもなく求められることを自分からできる、ということが裕翔くんをあの幼さにしてエリートにした理由なのではないかとわたしはおもっています。
当時の仕事量とその質が異常だったのは間違いないとおもいます。そんなエリートとして前を向いて走り続けなければならなかった、脇目も振らず走り続けた裕翔くんだから、裕翔くんめがけて走る子がたくさんいたのだとおもいます。
今のJr.を見ていてもおもうけれど、トップに立つ人に遠慮なんてしてほしくない。そこにいるからには容赦なくものすごくつよいひとでいてほしい。少なくともファンとして見ているわたしはそう思っています。だれかに嫌われるかもしれないけれど、そういう役回りになってしまうのは仕方ないとおもいます。幼いときにはそんなことわからないだろうけど、それを幼い背中に一身に背負いステージに、センターに立ち続けていた裕翔くんは本当にすごいひとです。
だからそんなにあのときの自分を責めないで、きらわないで……あのときの幼い裕翔くんに救われて支えられたひとはたくさんいるよ…!
20歳のお誕生日の翌日のコンサートで、裕翔くんは
「Jr.の頃から応援してくださっている方も、JUMPになってから応援してくださっている方も、よろしくお願いします」
と挨拶してくれました。あの幼きJr.の頃の、自分がすきになれない自分から、すきでいてくれるひともいると、裕翔くんは分かっておられます。なので、本当にこの文章は蛇足なのですが、ほんの少しでいいから、あのときの自分に寛容でいてあげてほしいなあと思います。
デビューから長い年月が経ち、あのときにぱっくりと空いた溝の両側でくるしんでいたひとたちが歩み寄れるほどになってきました。
きっとこれからそういう話が出る場面にたくさん遭遇できるのではないかなあとおもっています。WUさんが組んでくださったいのありはっしーの対談がたのしみで仕方ないです。
JUMPの10周年が近づいてきて、雑誌でJr.時代の曲もコンサートでできたら…といった声があがっていました。Ya-Ya-yahはもちろんのこと、JJの曲もわたしは聴きたい…!!!見違えるほどおおきくなった裕翔くんがまた堂々とセンターに立ってJJの曲を歌う未来が待っていてほしいので、それまでにすこしでも裕翔くんがあのときの自分をすきになってくれたらいいなあとおもっています。
いのありのおにいちゃんたちは特にJJをずっと大切におもってくれているなあと感じるので、よい影響を与えてくれるといいなあ…
また、俳優としての裾野が広がって、互いの交友関係から浅香くんと裕翔くんは既にどこかで出会っているのではないかとも勝手におもっているので、そういうきっかけでも裕翔くん自身の雪解けがはじまるといいなあとおもっています
JJにもいろんな歴史があるけれど、それをすべてねじ伏せるように裕翔くんには真ん中に立ってほしいなあ、裕翔くんがいなきゃJ.J.Expressははじまらないよ!という本当に本当に勝手な願望です。
これだけ時間が経っても難しいことをすぐにどうこうできるわけでもないので、いろんなきっかけからいつか、裕翔くんが幼くしてエリートとしてがんばっていた自分を、あのときの自分にはいやな部分もあったけど、あれはあれでよかったんだろう、と、そうおもえる日がきてくれたらいいなあと願っています。
すべてわたしの杞憂に過ぎないかもしれませんが…!
裕翔くん、幼きあなたはとびっきりかわいくてかっこよくてつよくて眩しかったよ!それは本当にこの世界に誇れることだとわたしは今までも、これからも、おもっています!
You were J.J.Express !!
That's Right !!!!!
ふたつの「ピンクとグレー」
映画「ピンクとグレー」観ました。
わたしが1/9という日を主演俳優のファンという、当事者として迎えられたことを本当に嬉しく思います。映画主演俳優の中島裕翔はアイドルの傍ら、主演俳優として記念すべき1/9を見据え見事に走り抜けました、そしてこれからぐんぐんスピードをあげて走っていきます。それをリアルに感じることができて、裕翔くんにはこんなにも素晴らしい世界が待っていてこれからも眩しすぎる未来があるのだよ!と幼き日のわたしに教えてあげたいくらいです。
ここからネタバレを含むことを書くので、まだ見ておられない方は読まないことをおすすめします。
わたしは原作を読んで映画を見ました。見終わった後にもやっとしたものも残りました。
加藤シゲアキの「ピンクとグレー」
行定勲の「ピンクとグレー」
ふたつのピンクとグレーについて感じたことをフレッシュなまま残します。
わたしは加藤シゲアキの「ピンクとグレー」が本当にすきです。原作を深く読みすぎると映画に集中できないとおもい、さらっと読んだつもりだったのに、映画を見るとここはこうだった、あそこはああだった、とおもうのです。それほどわたしのこころに深くささっているものが多かったです。
加藤シゲアキのピンクとグレーは「恋とか愛とかの類ではない」男同士の友情が色濃くかかれているとおもっています。シンメがだいすきなわたしは本当に、この「恋とか愛とかの類ではない」男同士のあつい友情がすきです。だからピンクとグレーはたまらないのです。同性愛に似ているかもしれないけれど、そうではないのです。ごっちがりばちゃんに仕事を振りつづけたのは、りばちゃんと一緒に仕事がしたくて、芸能という世界でもふたり並んでやっていきたくて、はやく自分のいるところにきてほしいっていう切実な思いがこめられているんですよ!!!映画ではごっち側の思いの経過は描かれないので、ふたりの口論のシーンは、ごっちは本当はりばちゃんに隣にきてほしいんだよ!!!!!!!!!!ってこころの中で叫んでました。このもどかしさ、原作を読んでいるひとしか感じていないなんて…
どこかで繋がっているふたり がすきなんです。淡白なようなのに、こころの奥ではお互いに対するおもいやりやあつい思いがある。そういうふたりが描かれていて。
「絶望的に素晴らしいこの世界の真ん中に僕は君と共にある」
わたしにはこういうふうにシンメが見えているんだなあって、ピンクとグレーに散りばめられている素敵な日本語をかみしめるように読みました。
なにより、わたしが見ているアイドル像が、現役アイドルの描くものとかけ離れていないことが嬉しくて。ちぐはぐでなかったんだ~という謎の安堵感。
行定監督の「ピンクとグレー」
わたしがもやっとしたのは、この「恋とか愛とかの類ではない」ものがなかったから。原作では白木蓮吾を演じるうちに、ごっちを理解していくりばちゃんなのに、映画のりばちゃんは演じてもなお、理解できなかった。ごっちとりばちゃんには最初から明らかな差があった。やはり奥底でつながっていたんだ、とわたしを夢心地でおわられてくれたのは原作。実際はそんなことはないのだと、気持ちよくおわらせてくれなかったのが映画。
芸能界の裏側。それを描くには原作は淡いタッチだったのかもしれません。わたしにとって、原作は「淡いピンクとグレー」、映画は「ビビッドなピンクとグレー」。
他人になることができるわけもなく、他人のことを理解できるはずもない。そのことを描いているのはかわりないと思います。それでも、原作はわたしが見ているジャニーズのアイドル像を崩さないものでした。それはジャニーズとして育ったシゲアキくんの無意識のものなのかもしれない、なんておもったりもして。行定監督は、芸能界の裏側とそこに渦巻く人のこころの黒い部分をビビッドに斬新に巧みに描かれているなあ、と感じました。夢ばっかり見ていないで、地に足つけて、人を気にしてばかりいないで、自分を見つめなさい、と言われているような気持ちになりました。映画は綺麗ではないけれど、本当に人間らしい。
そんな人間らしさを演じる裕翔くんのそばに菅田くんがいてくれて本当によかったなあ、とおもいます。シンプルに、お芝居でぶつかってきてくれて、ぶつかっていける、そんな相手にこのタイミングで恵まれたことも素晴らしい巡り合わせです。ぶつかりあった結果、仲を深めていくすだゆとは原作のふたりのようでとっても綺麗です。夏帆ちゃんとの巡り合わせも素晴らしいものです。夏帆ちゃん以外が思いつきません。劇中劇のごっち、りばちゃん、サリーのトライアングルもまたとっても綺麗です。
淡いのにビビッドなすだゆとふたりのきらめきをまた作品の中で見たいものです、そんな機会に恵まれますよう。
映画には裕翔くんの背景を見る余地があって。センターを外されてから、きっとやまちゃんになるにはどうしたらいいのか考えたこともあるのだろうなあ、ともおもって。うまくいかなくていらいらして部屋の壁に穴をあけた裕翔くんと、感情的にごっちの肖像画を傷つけるりばちゃんはどこかリンクしているなあと感じたり。悩んで悩んでものすごく黒い感情をまとっていた時期を越えて、自分らしさで勝負して世界を切り開いている裕翔くんに本当にぴったりで。
こういうふうに見ているから、わたしは映画ピンクとグレーのグレーな世界を真っ向から否定するきもちにはならなかったのだろうとおもいます。裕翔くんのファンでなければもっと否定的な感情を抱いていたかもしれない。
しかし、こんなにぴったりな映画に初出演初主演で出逢えるものなのでしょうか?必然だったのではないかとおもうくらい。素敵な作品、素敵な原作者である先輩、素敵な監督、素敵な共演者に恵まれた裕翔くんの記念すべき銀幕デビューは文句のつけどころがないです。まるで裕翔くんのためにお膳立てされたかのような、夢のような現実。でもこれはすべて裕翔くんが自分で引き寄せたもので、きっとこれからもこうやって裕翔くんは素敵なひとやものを引きつけて離さないひとになっていくのだろうなあとおもいます。
わたしにとって裕翔くんはNo.1だけれど、裕翔くんの生きる世界で裕翔くんは他のだれでもないオンリーワンの自分を手に入れました。それは本当につよいことです。中島裕翔というジャンルを生きていく裕翔くんを見られる未来が本当に素敵で、わたしの未来もとっても眩しくて輝いています。
やまちゃんは裕翔くんに、お願いだからはやくこっちにきてよっておもっていたのかな。こんなことも思いながらピンクとグレーを読み、観ました。
いずれにしろ、ふたりは絶望的に素晴らしい世界に並んでいます。とても美しくて尊い。そして、やまちゃんがソロデビューした日に裕翔くんは銀幕デビューを果たしました。新たな山田涼介と新たな中島裕翔が誕生した日が1/9。きっとふたりはそういう運命のもと引き合わされたふたり。ああつよい。ふたりのいる未来につよい光が差しすぎていてわたしは直視することができないけれど、わたしは淡い色を彼らから見出してこれからも生きていくのだろうなあ。
はやくもう一度映画「ピンクとグレー」を見たい。もっともっとこの映画から溢れるほどの美を浴びながら、受け取れる情報を余すところなく受け取りたい咀嚼したい!
何回も映画を見て、何回も原作を読んで、これっきりでなくこれから長い時間をかけて味わえるピンクとグレー、最高ですね。もしかしたら、もっと先のわたしは、今とは違うピンクとグレーを見ているかもしれない。もっと好きになるかもしれないし、失望するかもしれない。
ふたつの「ピンクとグレー」
ふたつあるからおもしろい。
ふたつのピンクとグレーが絡まりあってさらに深みを増していく世界の真ん中にいるブレることなく美しい裕翔くん。すべてのひとの本気と共鳴する裕翔くんの本気。俳優:中島裕翔のすべてが詰まっている「ピンクとグレー」、たくさんのひとにみていただけますように!!!
シンメトリーの宇宙地図
あらちかがなんだかおかしい。いや、別にいいのだけれど。
そう思いはじめたのは桜がきれいに咲き乱れていた六本木の地下でふたりを見てからだったかなあ。それから半年以上こんな調子で。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬がやってきた。季節を4つ巡ってしまった。ジャニーズに在るありとあらゆるシンメ芸を総ナメするつもりなのではないかとすら思ったりしている。
あらちかにはじめましての方、あらちかとは、ジャニーズJr.の阿部顕嵐と宮近海斗のふたりのことです。まずどんなシンメなのか気になる…という方はこちらの秀逸なあらちかまとめをどうぞ!
シンメではあるけれど、ヲタクに好まれるような過度なスキンシップを嫌い、ステージでは話すどころかすれ違いざまに目も合わさない。それでもどこか繋がっている。お互いがお互いの存在を意識するあまり不自然すぎるちょっとまわり道の愛情がある。形としては見えないけれど、見えないものを見て感じていた。それがわたしがおもうあらちかで、大好きでずぶずぶ沼へと躊躇うこともなく浸かったあらちか。うん、そうだった。だっておなじグループでおなじ括りで一緒にいるのに目を合わせて会話をしているところすら想像できないふたり。公式写真でふたりでハートマークをつくるようなシンメではなかった。あるのになくて、知れば知るほどつかめない、とんでもないシンメだと息を飲んだのはあらちかがはじめてだった。
なのに。背中合わせで歌うことにとどまらず、向かい合って思わずにやけながら歌ったり、向かい合って相手の頬に手を添えてみたり、横から相手の両頬をつかんでたこ口にしたり、前から覆い被さってチューしたように見せたり…
ひどい…これはひどすぎる!
好きだから、目撃してしまった瞬間は光の速さで沸騰するのに、時間が経ち熱が引いてくると残るもやもや…今までずっと避けてきた行動を自分たちからするふたり。不自然なのに自然なふたりを、どこかで繋がっているふたりを、さりげなく視線が交差するふたりを、お互いの存在を意識するあまりスルーするふたりを、シンメでいるふたりを、目撃してあらちかジャスティスと勝手に騒ぎ立てているだけでしあわせだった。つかもうと近づくとするりとすり抜けてその先でまた愛らしく微笑んでいるふたりを考えながら追うことが楽しかった。だから急なシフトチェンジとその意図が見えずすこしもやがかかっていた。別にいいのだけど、という気持ちをそばに置きながら。
あらちかは紆余曲折ありながらも、とてもシンプルにシンメしているように思うのだけど、春からのおしごとでなんらかの括りの中のふたりではなく、あらちかという最小単位で括られる機会に恵まれたときに何かが変わったのかもしれない、シンメのあいつ、ライバルのあいつ、だいすきなあいつ、の前に「離したくない」がはっきりと現れたような気がして。
特に積極的になった顕嵐くんの行動には必ず根っこに考えや思いがあるはずで、仮に凄まじい黄色い声援をもらえるシンメ芸をやりたいという思いがあったとしても、そこで終わらないなにかがあるはずで。顕嵐担さんの考えをぜひお聞きしてみたいところ…!
わたしは固定のグループに所属するとシンメは風化していくような気がしていて。ふたりがそこにいることは何ら変わりないのに、シンメではなくコンビのふたり。「シンメ」考えれば考えるほど奥が深い。コンビは至るところにあるのに、シンメは大勢いる中で神様のいたずらで対の位置で踊ることになったことがストーリーのはじまりのふたり。偶然とも必然ともいえる出会いとあゆみにつよく惹かれるのだろうなあ。そんなシンメとしてうまれたあらちか、シンメの可能性を残しつつあらちかにしかつくれないふたりの道を行くのだと勝手におもっているし、きっと今でもあゆんでいるのだとおもう。けれどすこし変わったのは、今までとはまた違った自分たちを開拓することでふたりの可能性を探りながらシンメとして強烈につよくなっておくことを見据えているのかもしれない、なんて。
二度とおまえ離さないの春、ずっとふたりで生きていこうの夏を越えて、ふたりが18歳シンメになった秋も過ぎ去った2015年。2016年一発目は1年越しの想いが叶うステージが待っています。青山ではないけど、きっとそこが青山になる。これからどんなふたりになっていくのか楽しみでしかたないです。答え合わせがいつかできると信じて、ふたりがつよくつよくあゆんでいく道をたどり続けていきます。ふたりの道がずっと重なっていなくてもいい、反対方向へ向かうことなく、なんとなく近くを進んでたまに重なってくれればいい。どんな地図が出来上がるのかな〜伊能忠敬もびっくりの地図ができるよ、きっと!!!*1
松竹座にある少年たちのおおきな夢をみてきました
先日、関西ジャニーズJr.の少年たちを観るために人生ではじめて松竹座に足を踏み入れてきました。
この想いの果てに 何があろうと 引き戻れない 決めたOnly way 絶望から 生まれた命なら 全てを捧げよう On my life 今すぐ
この夏の覇者がすきでした
新緑の季節にサマーステーション?もう夏のお知らせか…と思っていたのが、もうそのサマーステーションが今日で終わりを迎えました。チーム武、優勝おめでとうございました!
この夏わたしが愛した箱であるチーム覇のおはなしを残しておきます。
5人のメンバーを見て思ったことは、異色ではあるけれどバランスがいいな、ということでした。Jr.のまとめ役、高3シンメ、中3コンビ。強烈な個性を出すでもない優等生があつまっている印象でした。こんなにシンプルに名前の羅列だけでこじんまりとまとまっているグループはなかったように思います。
リーダーの安井くんはメンバー内の関係をピラミッドにしないで、横並びにすることを選んでくれました。チーム覇は男の子の集まりなのに、誰も声を荒げることもなく、みんなで手をつないで同じ歩幅で進んでいたようにおもいます。そしてメンバー間だけでなくチーム覇を応援してくれているファンにもその手は差し伸べられていたな、ともおもっています。その雰囲気は彼らのパフォーマンスにも表れていたような気がします。
チーム覇は我武者羅に加えて今年から加わったチームで、ダークホース的存在だと紹介されていました。新鋭の覇は新しい種目なので目新しく有利では、という声もありましたが、年少の瑞稀を除く4人のメンバーがパフォーマンスバトル初参加、全員が初挑戦の種目で、他チームが用意した去年よりもレベルアップしたものと戦っていくことは、土台がない中で本当に大変だったろうと終わった今おもいます。
Surviveするために誰か蹴落とす? No way
傷つけあうことに意味なんてないんだ この手を掴めばいい We can get it all
チーム覇はダークホースと言われている自分たちを受け入れて、ダークホースらしく敢えてこのような選曲をしたのなら本当にできた人たちの集まりだと勝手にうるうるしています。
一緒にー!楽しんでる~?!そんな声がたくさん客席に投げかけられる覇ちゃんならではのステージづくりだったとおもいます。ギラギラと勝負に全力!というよりも、ステージに立ってパフォーマンスを見てもらう、ことを一番に考えていたのではないかなあと思います。お客さんと一緒に盛り上がって一緒に勝ちを掴んでいけたら、というチームだったような。
ちいさくて気がつけばぎゅっとくっついている覇ちゃん。チャンピオン、前半は個人戦だったのに後半になるとチーム戦がたくさん繰り広げられるバルコニーは眩しく、お互いに交じり合って影響を受けているのを感じてチームとしての成長を後半の公演で目の当たりにしました。
VS公演最終戦。チーム覇は白星をあげることができませんでした。結果発表後に再びステージに登場したチーム覇はみんな笑顔で“ステージに立つひと”でした。悔しさが滲む表情のうえに達成感にも似たようなこの夏を誇りにおもう顔が見えたことは忘れません。Summer 上々!!ではセンターに立ち盛り上げ隊長なみやちかくん。サビの「空も海も蝉の声も~♪」で2回天を仰ぐみやちかくん。最終公演のSummer 上々!!ではどんな思いでどんな表情でEXシアターの天井を見つめていたのかなあ。
Oh yeah!でひとりひとりを労うようにそれぞれに愛おしそうに絡む安井くん。この箱のおわりを噛みしめていたようにも見えました。やっと手にした短い間だけれど自分が所属する箱。その箱をとても慈しんで愛で大切に育ててくださったなあとおもいます。春の六本木、最年少シンメとして参加したあらちか。みやちかくんは勢いで喋っては安井くんに助けられていたし、顕嵐くんは発言することすら珍しかった。そんなふたりが夏の六本木では頼もしいシンメとなりました。きっとそれは安井くんがリーダーシップをとりすぎず、中堅であるあらちかに信頼をおいて自由に泳がせてくれたからだと感じています。みやちかくんから発せられるC&R、チーム覇はお客さんと一緒に、というコンセプトがあったからできたものなのかもしれないな、とおもっています。
やすいくん、あらちか、はしみずとそれぞれにこの夏他にも行くべき場所があるメンバーでした。それでも、きっとこの夏は彼らの中心、戻ってくるホームはチーム覇だったようにおもいます。だからわたしもこの夏は真っ直ぐにチーム覇に愛を注ぐことができたとおもっています。
この夏六本木の地下にこだましていた\明るくいきまっしょ~!!!/も、ガムシャララの\シャラララベイベ!/ \一緒にベイベ!/も、KQJの\さあさあみなさんご一緒に~!/も、Summer 上々!!の\上々!!/もキラキラ輝く覇ちゃんをさらに彩る最高のC&Rだったとおもいます!
チーム覇の表題曲といっていいOne Love。ロスが続く日々ももっと月日が流れてもこの曲を聴けばいつでも覇ちゃんへの愛で心が満たされる気がします。覇ちゃんのずるいところは歌わない2番にきっと言いたかっただろう言葉が込められているところ。余白をつかうおしゃれでどこまでもできたひとたちです!
毎日One Love聴いて覇ちゃんに想いを馳せてるけど本当に幸せしかない曲…めくってもめくってもひたすら愛がでてきて安井くんがこの夏大事に大事に育ててくれた愛の花が満開だねっていう風に見えて幸せの最上級です
— みぃな (@myaaaaaci) 2015年7月30日
わたしはこの夏、チーム覇色にしっかりと染められました。
\俺たちが覇者!チーム覇!!!/
おつかれさまでした!!!最高にかわいくてあつい夏をありがとう!!!
最後に覇ちゃんにぴったりの黄色い薔薇の花言葉を置いておきます。
友情・献身・可憐・美・さわやか・あなたを恋します
そして、黄色い小輪薔薇の花言葉は
笑って別れましょう
2年かけて“担降り”を受容したはなし
“担降り”をしたわけではないのですが…というのが私は担降り制度を放棄していて*1、今の状況が“担降り”したって言えるんだろうな、とやっと腑に落ちたので言葉で残しておこうとおもって書いています。面倒くさくてすいません!
しかし2年前、そんな私のJr.への興味の蓋をふたたび開けてくれたペリーのような子がひとりいました。
ザ少年倶楽部でダンスがうまくて引き込まれそうになる大きな輝く瞳をもった少年を見つけてしまいました。
それが、Jr.の宮近海斗くんでした。
まったく知らなかった人のことを1から知っていくことの楽しさを久しぶりに感じて、とっても楽しくて心がおどっていたのをよく覚えています。まさに“転げ落ちるみたいに加速して”でした。加速してしまってもうブレーキがいよいよ自分でかけられないと自覚したときによぎった言葉が“担降り”でした。