2年かけて“担降り”を受容したはなし

“担降り”をしたわけではないのですが…というのが私は担降り制度を放棄していて*1、今の状況が“担降り”したって言えるんだろうな、とやっと腑に落ちたので言葉で残しておこうとおもって書いています。面倒くさくてすいません!

 

 

私が中島裕翔くんを担当しはじめて10年になります。担当制度をはじめたばかりの幼い私にとって、担歴2桁を掲げるヲタクはまぶしくて憧れで、私も裕翔くんの担歴2桁を掲げたい!とつよくおもったのを、今でも鮮明に覚えています。そして、裕翔担をやめるとき、そのときがきたら、それはヲタ卒するときである、と思っていました。
私が彼を応援していて最も沸点に達しやすい感情は「かっこいい」でした。他のタレントにもそうだったので、大抵年上が好きで、年下を好きになる気持ちを私自身はどこか理解できずにいました。年下が好きな人もいるよねってくらい。だからまさか自分が年下に惹かれるなんて思ってもいませんでした。
そしてもうひとつ、未成年のタレントはいなくなってしまうことがある、という事実をたくさん突きつけられて、友人が悲しみ苦しんでいる姿を見てきたからこそ、年下には手を出さないと、特にJr.への興味には蓋をしていました。それと同時に当時の私は一途が正義だと思っていたので、完全に鎖国していました。
 
 

しかし2年前、そんな私のJr.への興味の蓋をふたたび開けてくれたペリーのような子がひとりいました。

少年倶楽部ダンスがうまくて引き込まれそうになる大きな輝く瞳をもった少年を見つけてしまいました。

それが、Jr.の宮近海斗くんでした。

まったく知らなかった人のことを1から知っていくことの楽しさを久しぶりに感じて、とっても楽しくて心がおどっていたのをよく覚えています。まさに“転げ落ちるみたいに加速して”でした。加速してしまってもうブレーキがいよいよ自分でかけられないと自覚したときによぎった言葉が“担降り”でした。

 
私にとって、担降りは今担当している人にお別れをして、次に担当する人と共に進んでいくというイメージがありました。
大袈裟だけれど、裕翔くんを放りだして、宮近くんを選ぶのか。そんなことが私にできるのか。裕翔くんのことを嫌いになったわけではなくてむしろ好きだし、これからどんな道を進んでいくのかまだまだ見ていたいし担降りなんてできない、と思いました。(担歴2桁掲げたいし。)
でも鎖国していた私の世界を広げて魔法をかけ続けてくれる宮近くんのこれからも見てみたい。そんな気持ちの間で揺れ動いて、でも担降りをしたくなくてしょうがなくて、悩む日々がありました。現場に行けば必ず落ちる。そんな予感から宮近くんの現場には行きませんでした。
 
 
そんなときにつけていたテレビから聞こえてきた言葉が私を救ってくれました。
離婚を防ぎたいなら離婚した後の自分を考えてそのときにやりたいことを今やればいい
ニュアンスなんですけども。これだ!と思いました。担降りが離婚だなんておかしいけども、ジャニヲタからしたらそんな感覚なのかもしれない。
 
この言葉を聞いてすぐひらめいたのが宮近くんのことを呟くアカウントをつくることでした。担降りしたくないからつくった居場所で私のShelterでした。
何もためらわずに宮近くんのことを好きな時に好きなだけ吐き出せる場所があって、とっても気持ちが楽になりました。宮近くんの現場にも足を運びました。こんなに素敵なパフォーマンスを見る機会をみすみす逃してきた自分は、とってももったいないことをしていたのだと感じさせてくれました。
 
それでもときどき担降りすると腹をくくれないのは、不確かである宮近くんの未来に全体重を傾けることができずに、保険のように裕翔くんに頼っているのではないかと思うときもありました。
でも、私が誰の担当を名乗っていようと私以外には関係なくて、タレントにとっては自分にお金を落としてくれる人が減らなければいいのでは?なんていうなんとも都合のいい勝手なこじつけをつくって気持ちを落ち着かせました。好きな人は好きだし!ひとりになんて決められないよ!っていう明らかな開き直り。
 
そして担降り制度が煩わしくて、担当の概念で雁字搦めにされている自分がとても窮屈で仕方なくて。素敵な方の言葉をたくさん浴びて、担当を勝手に背負わないこと、好きなときに見たいひとを見ればいい、私だってチャンネル変えればいいっていう結果にたどり着きました。
 
年下を好きになるなんて、ともおもっていましたが入口であった宮近くんのことを私はひとりのパフォーマーとして尊敬しているから年齢なんて関係なかったのだと気づかされました。そこから入っておかげさまで私の最も沸点に達しやすい感情は「かわいい」に移行しました。*2
 
担降りした先で元担のどこが好きだったのか分かるっていうけど、私はどうなんだろう?なんて考えてみたり、宮近くんと裕翔くんを比べて通ずるところがあれば勝手に喜んで見たりと、担降り擬似体験も楽しみました。担当はずっと裕翔くんだけだったので、担降りは未知の領域で何もかもが新鮮で、気楽に楽しくその領域を味わえるところに気持ちを落ち着かせることができたのは、私の中でとても大きかったです。
 
アイドルを応援していれば楽しいことばかりではなくて、つらかったり悲しかったりすることがでてきますが、チャンネルを変えることができれば逃げ道になって鬱を回避できる、ということもひとつ学んだことでした。行ったり来たりすることで救われたことが何度もありました。
アイドルでつらくなったらアイドルで癒す!ふらっと戻ってもいつもきらきらして笑顔で迎えてくれる存在は偉大でした。逃げた先で癒されながら時間をかけて、目を背けてきた状況を自分のペースで受け入れられれば万々歳です。
二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざがありますが、アイドルに関してはそもそも得ようとしていないし、だからこそ何兎も追えば追うほど忙しくて同じ熱量ではとても追えないかもしれないけれど、しあわせが増えて楽しいのだろうな、と私は思います。
 

 

そんなこんなで、担降りを放棄して好きなときにチャンネルを変えるスタイルでヲタクを楽しみだして2年が経ちました。あれほど蓋をしてきたJr.への興味は底知れず、ひたひたに浸かっています。
不確かな存在であるJr.にとってファンは内側で、内側である自分がなにかすることで力になりたい、喜んでもらいたいという思いが本当に原動力になっているなと感じる日々で、なんとかこの人の素晴らしさを伝えたいという一心で言葉を紡いでみたりしていて、儚いけれど毎日に刺激があって好きです。
 

以前、裕翔くんと宮近くんの現場が被ってしまったら、私はどうするんだろう?と思って、偶然にも同じ日に現場があった時にはしごしたことがあります。それでも答えが出ませんでした。

今年の夏、違う場所で現場が被り、無意識に宮近くんを優先しようとしている自分がいました。今この瞬間をいちばん大事にしたいのは宮近くんだと思っている証拠でした。

散々周りに言われてきたけれど、やっとこれが担降りしたって言うんだなって、あれほどしたくなかった担降りがすとんっと自分の中に入ってきたのを感じました。
考えてみれば担降りを意識しはじめてから2年もの月日が経っていて、優柔不断にも程がある自分がおかしくておかしくて!それでもなにも妥協することなく心地よく事実と気持ちが重なってよかったな、と思います。*3 趣味だからこそ勝手に背負って後ろめたさ感じてまでヲタクやりたくない!
 
Jr.は戦国時代やら黄金時代やら言われていて、宝石がたくさんです。その中で見つけてしまったものを見なかったことにして目を背けてしまうのはもったいない!別にその子の未来を背負わなくてもいいからほんの少しでも力になれればいいなぁ…好きなひとが進んでいく道を、つくっていく世界を見ていくことができるのが私のしあわせです。こうやってチャンネル変えながらほそくながーくジャニヲタしていきます!
 
 

*1:いわゆる掛け持ちっていうやつです

*2:かわいいの五段活用しかできない

*3:憧れの担歴2桁に達したということもあるのかもしれない