シンメトリーの宇宙地図

あらちかがなんだかおかしい。いや、別にいいのだけれど。

そう思いはじめたのは桜がきれいに咲き乱れていた六本木の地下でふたりを見てからだったかなあ。それから半年以上こんな調子で。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬がやってきた。季節を4つ巡ってしまった。ジャニーズに在るありとあらゆるシンメ芸を総ナメするつもりなのではないかとすら思ったりしている。

あらちかにはじめましての方、あらちかとは、ジャニーズJr.の阿部顕嵐と宮近海斗のふたりのことです。まずどんなシンメなのか気になる…という方はこちらの秀逸なあらちかまとめをどうぞ!

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シンメではあるけれど、ヲタクに好まれるような過度なスキンシップを嫌い、ステージでは話すどころかすれ違いざまに目も合わさない。それでもどこか繋がっている。お互いがお互いの存在を意識するあまり不自然すぎるちょっとまわり道の愛情がある。形としては見えないけれど、見えないものを見て感じていた。それがわたしがおもうあらちかで、大好きでずぶずぶ沼へと躊躇うこともなく浸かったあらちか。うん、そうだった。だっておなじグループでおなじ括りで一緒にいるのに目を合わせて会話をしているところすら想像できないふたり。公式写真でふたりでハートマークをつくるようなシンメではなかった。あるのになくて、知れば知るほどつかめない、とんでもないシンメだと息を飲んだのはあらちかがはじめてだった。


なのに。背中合わせで歌うことにとどまらず、向かい合って思わずにやけながら歌ったり、向かい合って相手の頬に手を添えてみたり、横から相手の両頬をつかんでたこ口にしたり、前から覆い被さってチューしたように見せたり…

ひどい…これはひどすぎる!
好きだから、目撃してしまった瞬間は光の速さで沸騰するのに、時間が経ち熱が引いてくると残るもやもや…今までずっと避けてきた行動を自分たちからするふたり。不自然なのに自然なふたりを、どこかで繋がっているふたりを、さりげなく視線が交差するふたりを、お互いの存在を意識するあまりスルーするふたりを、シンメでいるふたりを、目撃してあらちかジャスティスと勝手に騒ぎ立てているだけでしあわせだった。つかもうと近づくとするりとすり抜けてその先でまた愛らしく微笑んでいるふたりを考えながら追うことが楽しかった。だから急なシフトチェンジとその意図が見えずすこしもやがかかっていた。別にいいのだけど、という気持ちをそばに置きながら。




あらちかは紆余曲折ありながらも、とてもシンプルにシンメしているように思うのだけど、春からのおしごとでなんらかの括りの中のふたりではなく、あらちかという最小単位で括られる機会に恵まれたときに何かが変わったのかもしれない、シンメのあいつ、ライバルのあいつ、だいすきなあいつ、の前に「離したくない」がはっきりと現れたような気がして。
特に積極的になった顕嵐くんの行動には必ず根っこに考えや思いがあるはずで、仮に凄まじい黄色い声援をもらえるシンメ芸をやりたいという思いがあったとしても、そこで終わらないなにかがあるはずで。顕嵐担さんの考えをぜひお聞きしてみたいところ…!



わたしは固定のグループに所属するとシンメは風化していくような気がしていて。ふたりがそこにいることは何ら変わりないのに、シンメではなくコンビのふたり。「シンメ」考えれば考えるほど奥が深い。コンビは至るところにあるのに、シンメは大勢いる中で神様のいたずらで対の位置で踊ることになったことがストーリーのはじまりのふたり。偶然とも必然ともいえる出会いとあゆみにつよく惹かれるのだろうなあ。そんなシンメとしてうまれたあらちか、シンメの可能性を残しつつあらちかにしかつくれないふたりの道を行くのだと勝手におもっているし、きっと今でもあゆんでいるのだとおもう。けれどすこし変わったのは、今までとはまた違った自分たちを開拓することでふたりの可能性を探りながらシンメとして強烈につよくなっておくことを見据えているのかもしれない、なんて。

二度とおまえ離さないの春、ずっとふたりで生きていこうの夏を越えて、ふたりが18歳シンメになった秋も過ぎ去った2015年。2016年一発目は1年越しの想いが叶うステージが待っています。青山ではないけど、きっとそこが青山になる。これからどんなふたりになっていくのか楽しみでしかたないです。答え合わせがいつかできると信じて、ふたりがつよくつよくあゆんでいく道をたどり続けていきます。ふたりの道がずっと重なっていなくてもいい、反対方向へ向かうことなく、なんとなく近くを進んでたまに重なってくれればいい。どんな地図が出来上がるのかな〜伊能忠敬もびっくりの地図ができるよ、きっと!!!*1

*1:顕嵐くんはTJ対談で頑なに伊能忠敬になりたがっていた